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病気はね…

 私は毎月大きな大学病院に通院してます。
 現在この病気に対して昔は薬もなく、薬が開発されても高価であったりと一般人には入手困難な薬であったために病気悪化のために此の世を去る人が多かったわけですが、現在は医学の発展のおかげで対応する薬がいろいろと出来て病気の完治までは現段階では不可能でも薬を飲んでさえいればほぼ普通の生活を送れるとのことです。
 ココまでに読んでて何の病気なのかは薄々気づいたかと思います。
 この病気は私の自業自得なのですが、主治医は”昔とはちがって糖尿病に近くなりましたね”と言ってはいました。

 個人的には”自殺せず此の世を去る材料が出来た”と思っています。
 幼少期よりいろいろあり過ぎてトラウマを抱えてしまい、ぶっちゃけ生きるのに嫌気がさしてたわけですけど、この病気を知った時に嫌気も何も吹っ切れたことを覚えました。
 毎月通院する理由の一つとして、”どのように病気が進行し、おおよその死期はいつ頃なのか?”を自分なりに覚悟し測っています。

 
 さて、私の病気が云々は別として、どこかで聞いている方はいるかとは思いますが、病気には身体の痛みと心の痛みが必ず二つ備わってます。
 内臓疾患の場合には痛い痛くないかかわらず身体の痛みが8割、心の痛みは2割としてあります。この割数はあくまで”例えば”です。
 内臓疾患においては何かの定期健診で病気のある場所が判明して病院に足を運んで医師に頼ることがあったりと様々で、手術か何かでスグ取れば治る病気もあれば、何をしようが次から次へと患ってしまう病気もあり病気によっては余命を告げられてしまうものまであります。

 スグに治る病気であれば前記で記した”例えば”の割数のように心の痛みというものは少なく済むかと思いますが、大きな病やら余命宣告を受けるような病気の場合には身体の痛み以上に本人しか分からない心の痛みの方がかなり辛いと思います。
 そのような境遇の患者さんに「気をしっかり持って」と励ましの言葉は逆に無意味かつ無理な言葉かと私は思います。
 悪気はなく”何と言って良いのかわからないから”なんでしょうけど、私でしたら取って付けたようなセリフなんか言ってくれなくても良いです。別な意味で気が滅入りますから。


 今回は大病人に焦点をあてていかにして”心の痛み”を緩和させるかを殴り書きします。

 人でも動物でも生まれたからには日々”死”が先に必ずあるという条件のもとで生きてます。
 動物には人と異なって明日はどうなるか何するかを考える事もなければ先にある死の観念がありません。
 人には明日の予定などを立てられる事が出来たりします。動物とは異なって≪希望≫という心が人にはあります。
 ですが必ず生きている保障は無く、数分後数時間後明日明後日…に生きていられる保障なんてどこにも無いのが事実なんです。ただ動物と異なって死の観念は大なり小なりは持っているわけです。

 どうあって生きても必ず死を迎えるのが生きているものの決まり事です。
 身体だけは徐々に衰えてゆき本来ならば土に還ります。

 身体だけは衰えを覚えて死を迎えるのですが心は自身の意志一つで衰えを覚える事は無く心そのものには”死”が無いわけです。そのように自分自身で自身の心の運び方を変えれば心の痛みは改善すると思います。いや、”改善するのだ”と信じるべきです。


 これは私個人のことなんですが、私は神道を心の拠り所としてますのでムダなことを考える時間があれば”六根清浄の祓い”を一人ブツブツと唱えてます。

”六根清浄の祓い”を一部抜粋します
目に諸々の不浄を見て 心に諸々の不浄を見ず
耳に諸々の不浄を聞いて 心に諸々の不浄を聞かず
鼻に諸々の不浄を嗅いで 心に諸々の不浄を嗅がず
口に諸々の不浄を語って 心に諸々の不浄を語らず
身に諸々の不浄を触れて 心に諸々の不浄を触れず
心に諸々の不浄を思いて 霊(なかご)に諸々の不浄を思わず

↑これを唱えたからといって運が善くなるといったスピリチュアル的要素は個人的には全く無いと思ってます。そのように思うのであればご存分に……
 要は心の運び方と在り方です。私が”六根清浄の祓い”を唱えるのは心の平均と安定を保つための道しるべ・確認のような感じです。

 生きていれば嫌な思いもせざるを得ない場面は多々あります。
 ”ぶち殺してやりたい!”と思うことなんか私はしょっちゅうあります(苦笑)
 しかし、嫌な思いをせざるを得ない場面もぶち殺したいと思う場面などなどは、知ってか知らず知らずのうちににいちいちツマランことに心を留めてしまってた自分が”原因”となって生んで招いた”結果”なわけです。

 そしてまた身体は殺してしまえばおしまいですが心は何回も殺す事は可能です。
 周囲に迷惑を掛けない程度に気のすむまで殺してみてはどうでしょう。
 自分の心一つで何回でも再生は可能です。横文字でいうなら”リセット”です。

 もし私の目の前にガンを宣告されて暗く落ち込んでる身内がいたとするなら『ガンだなんだでいつまでもシケたツラなんか見たくない。ある意味良いチャンスだ。ウダウダと暗くなってる時間があるなら危ない国にでも行って人間ウォッチングでもしてこい』と突き放しますね。
 それも私の中では”情けの内”だと思ってます。


 身体の衰えや痛みと同時進行で心まで衰え病んでしまっては悪くなるものに拍車がかかるかと思います。

 病人の気持ちは病人にしか分かりませんし、心を切り替えられるのは病人本人しかいません。

 新たに愉しみを覚えられる心の拠り所を見つけさせる事をオススメします。
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