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心の波風

人は死ぬまで自分自身が"原因"として善かれ悪しかれ"結果"を否が応でも生産し続けているわけです。

自分自身の心の働き・運び方次第によって自分自身の心と身の置き処に必ず掛かる結果の波風は荒くもなれば穏やかにもなるわけです。

結果に対して原因とは、自分自身の心の変動が無ければ波風が立たない状態、"動きの無い水・止水"でしょうけど、俗世に於いてなかなか常に心を止水の様にするには難行苦行です。

風が無い月夜の池は"原因"である自分自身の心に例えて、その池に自分自身の石(意思)を投げ入れば池に"結果"と云う波が生まれ、池に映る月はその通りに一時は動き時が経てば必ず波は消え去り、再び止水の池に映る月が現れる。
原因と結果と云うのはその様にも思えますし意思と云うのも人によって様々で、自分自身の心の奥底に留めている"心に留めてもツマラン物事"だったり"ツマラン意地"とか"虚栄"であったりするわけだし、だとしたら決して浮かばれやしないと私個人としては思います。
俗世に生きる十中八九の人は自分自身の欲心が先に立つでしょうから…

もっと平たく分かり易く例えれば、パチ屋へ行って台を選んでサンドにカネを入れて打つ。
大当たりするか大損するかは先に現れるわけではなく"末のこと"
パチ屋に脚を運ぶ者は原因であって、カネをかけ時間をかけて"末に現れる"結果に挑む。
パチ屋は大当たりしようが大損しようが実際には痛くも痒くも無いわけで、前述の池の様なもんだろな。


さてと今日はこの辺にしておこうかな…
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